――それでも嫌いになれない不器用な天才たちへ
セガのハードが好きだ。これは、今でも胸を張って言える。
メガドライブ、サターン、ドリームキャスト。
どれも触れば「良いモノだ」と分かる。
思想も技術も、決して低くない。
それなのに、なぜか――
いつも“勝ち切れない”。そして不思議なことに、その原因は毎回ほぼ同じところにある。
今回は、「なぜセガはいつも一歩ズレるのか」という問いについて、
ファンだからこそ言える視点で整理してみたい。
セガは「技術屋の会社」すぎる
まず根本にあるのはこれだと思う。
セガは“技術者が主導する会社”である。これは長所でもあり、同時に最大の弱点でもある。
セガのハードは、 ・スペックが高い
・設計が凝っている
・当時としては先進的
という特徴を、ほぼ例外なく持っている。でも、その一方で――
・ユーザーは何を求めているか
・どう遊ばれるか
・どこで妥協すべきか
という「市場目線」が、常に後回しになる。技術的に正しい。でも、商売としては正解ではない。
これがセガの宿命だ。
「できること」を詰め込みすぎる悪癖
セガのハード史を振り返ると、共通点がある。
「それ、そこまで必要だった?」
メガドライブ→ 当時としては高性能すぎた
サターン→ 複雑すぎる構造、開発難易度の高さ
ドリームキャスト→ 先進的すぎて時代が追いつかなかった
ゲームギア→ カラー液晶というロマン、でも電池がもたない
そして、ゲームギアミクロ。
・小型化しすぎ
・再現性重視
・コレクター向けに全振り
これも同じ流れだ。「できるからやる」「技術的に面白いからやる」
その結果、 “ユーザーが求めている姿”から一歩ズレる。
セガは「遊ばせる」より「作りたい」が勝つ
任天堂との最大の違いは、ここにある。
任天堂は徹底している。
- これは面白いか?
- 子どもは遊べるか?
- 家族で楽しめるか?
- 性能よりも、体験が先に来る。
一方セガは、
- これは技術的にすごい
- こんなことができる
- 他社はやっていない
という「作り手の快感」が先に来る。だからこそ、
・刺さる人には深く刺さる
・でも大衆には届かない
という、非常に惜しい立ち位置になる。
「尖っている」は褒め言葉だが、免罪符ではない
セガの失敗を語ると、必ず出てくる言葉がある。
「セガは尖ってるから」 「セガだから仕方ない」
でも、これは半分正解で半分逃げだと思う。
尖っていても、
・売れるものは売れる
・評価されるものは評価される
問題は、 尖らせる方向が“ユーザー側”を向いていないことだ。
ゲームギアミクロはまさにそれだった。
・小さすぎる
・高い
・実用性がない
・懐かしさ以外の価値が薄い
結果、「話題にはなるが買わない」商品になった。これは、どんな業界でも一番つらいポジションだ。
それでもセガが嫌いになれない理由
ここまで散々書いたが、それでも私はセガが嫌いになれない。
なぜか。
セガは、
「儲かるからやる」より
「面白いと思ったからやる」
を選んできた会社だからだ。
失敗しても、 挑戦しないよりマシだと信じている。その姿勢は、間違いなく尊敬できる。
ただ――
そろそろ「ユーザーの声」と歩調を合わせてもいいのでは?そう思ってしまう。
結論:セガは“惜しい”ではなく“惜しすぎる”
セガはダメな会社ではない。
むしろ才能の塊だ。
ただし、
・一歩ズレる
・半歩早すぎる
・ユーザーより先に走りすぎる
この癖が、ずっと治らない。ゲームギアミクロは、 その象徴のような存在だった。
もし次があるなら、こう願いたい。技術ではなく、
「遊ぶ人の気持ち」を主語にしてほしい。
そうすれば、セガはきっとまた輝ける。
本気で、そう思っている。



コメント