なぜ安全管理審査を電気主任技術者は嫌がるのか

― 専門性の高度化と、責任だけが重くなる構造 ―

電気主任技術者という資格・職務は、電気設備の安全を担保する極めて重要な役割を担っている。

一方で、現場の電気主任技術者からは「安全管理審査がとにかく重い」「できれば関わりたくない」という声が少なからず聞こえてくる。

なぜ、安全を守るためのはずの安全管理審査が、これほどまでに敬遠されてしまうのだろうか。

それは個人の資質や意識の問題というよりも、制度と技術の進化が噛み合っていない構造的な問題が背景にあるように思える。

本記事では、その理由を冷静に整理していく。

電験の知識だけではカバーできない現実

まず最初に直視すべきなのは、現代の電気設備があまりにも高度かつ専門的になっているという事実である。

電気主任技術者の基礎となる電験の知識は、電力工学・機械・法規といった電気の根幹を学ぶうえで極めて重要だ。

しかし、実際の現場設備は、もはや「電気単体」では成立していない。

  • 特別高圧受変電設備
  • デジタル保護リレー
  • 通信ネットワーク(Ethernet、光、IEC 61850)
  • 遠隔監視・SCADA
  • DX化された保全・運用システム

こうした要素が複雑に絡み合い、電気・通信・IT・制御が一体化したシステムとして構成されている。

もはや「電験を持っている=すべて理解できる」時代ではない。

それにもかかわらず、安全管理審査では**“電気主任技術者であること”を理由に、全体を理解している前提で説明や判断を求められる**場面が少なくない。

このギャップが、最初の大きなストレスとなる。

覚えることが多すぎる特高受変電設備の実態

特高受変電設備に関わる電気主任技術者ほど、この問題は深刻になる。

従来のように、

  • 機器構成を把握する
  • 保護方式を理解する
  • 点検周期と試験内容を押さえる
  • だけでは足りない。

そこに加えて、

  • 通信構成の冗長性
  • データの流れ
  • サイバーセキュリティ的な観点
  • ベンダー固有仕様
  • ソフトウェア更新による影響

といった、電験ではほとんど触れられない分野まで把握を求められる。

結果として、

「安全管理審査に出る=自分の専門外まで説明責任を負わされる」

という感覚が生まれやすくなる。

責任とリスクが、手当ではまったく釣り合わない

安全管理審査で不適合が指摘された場合、その影響は決して小さくない。

  • 追加対策の要求
  • 改修工事
  • 事業計画の遅延
  • 社内外からの説明責任

こうした事態において、最終的な“顔”として名前が出やすいのが電気主任技術者である。

一方で、

  • 決裁権があるわけではない
  • 設備仕様を自由に決められるわけでもない
  • 工事会社やメーカーを指揮できる立場でもない

というケースがほとんどだ。

にもかかわらず、問題が顕在化したときだけ、

「電気主任技術者として、どう考えますか?」

と意見を求められる。

この構造の中で、わずかな資格手当や報酬で、リスクの大きさを測ることは到底できない。

このアンバランスさが、安全管理審査への忌避感を強めている。

決定権も裁量権もないのに、責任だけが集まる構造

安全管理審査を嫌がる最大の理由は、ここにある。

  • 設計は別部署
  • 工事は外注
  • 予算決定は経営層
  • 工期は営業主導

電気主任技術者は、システムの一部にしか関与していないにもかかわらず、

安全という「結果」については包括的な責任を期待される。

これは極めて押し付けやすい立場とも言える。

  • 名前が制度上明確
  • 法的責任が想起しやすい
  • 「専門家」というラベルがある

だからこそ、何かあったときに頼られやすく、同時に責任も集中しやすい。

この構造を変えない限り、安全管理審査は「協力したい場」ではなく、

「できれば避けたい場」になり続けるだろう。

嫌がっているのは「安全」ではなく「構造」

誤解してはならないのは、電気主任技術者が安全を軽視しているわけではないという点だ。

むしろ、

  • 設備の安全を守りたい
  • 事故は起こしたくない
  • 社会インフラとしての責任を理解している

からこそ、自分の手に負えない領域まで責任を負わされる状況に違和感を覚える。

嫌われているのは安全管理審査そのものではない。

現代の技術レベルと、制度上の責任配分が合っていない構造なのである。

おわりに:問題は個人ではなく制度側にある

電気主任技術者が安全管理審査を嫌がる理由を整理すると、次の点に集約される。

  • 技術が専門化・高度化しすぎている
  • 電験知識だけではカバーできない現実
  • 責任とリターンが釣り合わない
  • 決定権のない立場に責任だけが集まる

これらはすべて、個人の努力では解決できない問題だ。

安全管理審査を形骸化させず、真に安全を高める仕組みにするためには、

電気主任技術者を「便利な責任者」として扱う構造そのものを見直す必要がある。

その議論が始まらない限り、

安全管理審査はこれからも「敬遠されるイベント」であり続けるだろう。

電気主任技術者の仕事については以下の記事で書いております。

お時間あると時にどうぞ

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