電気設備の新設・更新工事において、最終的な責任者として登場するのが電気主任技術者である。
しかし現場の実態を見ていると、「安全管理審査」という制度そのものが、結果的に電気主任技術者へ過剰な責任を集中させる構造になってしまっているケースが少なくない。
本記事では、なぜ安全管理審査が“電気主任技術者いじめ”のような状態になりやすいのか、その背景を整理してみたい。
仕様も全体像も把握できないまま責任者になる現実
理想論でいえば、電気主任技術者は設計段階から関与し、仕様・設備構成を把握して施工・試験計画を確認しながら使用前自主検査を主導するという流れになるはずである。
しかし実際のプロジェクトでは、配属直後に電気主任技術者を任命されることが圧倒的に多く、既に設計・発注・施工が進んでいる。そして設備仕様書や設計意図が十分に引き継がれていないという状況が珍しくない。
つまり、設備の全体像を十分に理解できていない状態で、法的責任だけが先に与えられるという状態が発生してしまうのである。
使用前自主検査は「理解前に開始」される
さらに厳しいのが、設備が完成に近づくと、待ったなしで使用前自主検査が始まる点である。
本来であれば、図面精査を行い試験要領確認した後に保護方式理解して、系統条件確認するといった準備期間が必要だ。しかし現実には工程が決まっていて停電日が決まっている。さらには竣工日が決まっているため、「理解が追いつくまで待つ」という選択肢は存在しない。
結果として、内容を完全に理解しきれていない試験の良否判定を求められるという、極めて精神的負荷の高い状況が発生する。
書類は業者作成、しかし責任は主任技術者
多くの現場では、試験成績書や検査記録の実務作成は
- メーカー
- 施工業者
- 試験会社
が担当する。これは合理的ではあるが、一方で最終的な確認と承認と保管責任は電気主任技術者側に集中する。つまり実態としては作成は業者が行い、工程管理も業者が行うことになり、内容説明も業者であるにもかかわらず、安全管理審査の場では「設備を統括管理している責任者」として振る舞うことが求められるというねじれた構造が生まれるのである。
安全管理審査だけ突然「責任主体」になる違和感
日常運用では設計決定権は設計部門が行い、工程決定権はプロジェクト部門がまとめていき施工管理は施工会社が握っている場合が多い。
ところが安全管理審査の場面になると、設備の理解と試験内容の妥当性から保全体制に安全性評価について、電気主任技術者が主体的に説明することを求められる。
これは制度上は当然の要求であるが、現場実態としては決定権を持っていない人間が、最終責任だけを説明しなければならないという構造になりやすい。
このギャップが、電気主任技術者にとって大きなストレスとなる。
これは個人能力ではなく「構造問題」
こうした状況に置かれたとき、本人は自分の理解不足ではないか?経験不足ではないか?勉強が足りないのではないか?と感じがちである。
しかし実際には、設計関与が遅い上に引き継ぎが不足しているし、工程優先で検査準備期間がなく書類作成と責任所在が分離しているという構造的な問題で発生しているケースが多い。
つまり、これは個人の能力の問題というより、電気主任技術者制度と現代のプロジェクト運営の現実に追いついていないという制度的課題に近い。
「割に合わない役職」と言われる理由
電気主任技術者は法的責任を負う立場であるにもかかわらず、設備仕様決定に十分関与できないし工程を止める権限を持たない。書類作成は他者に頼むしか無いほど複雑なロジックのもとに成り立っている。しかし説明責任だけは最終責任者という状況に置かれることが多い。
このため現場では、電気主任技術者は責任の重さに対して裁量が小さく、割に合わないと言われることも少なくない。
おわりに
― 電気主任技術者を守る設計が必要な時代
安全管理審査そのものは、電気設備の安全確保に不可欠な制度である。
問題は制度ではなく、主任技術者がプロジェクトに関与するタイミングと権限設計である。
- 設計初期から関与させる
- 引き継ぎ資料を標準化する
- 使用前自主検査の準備期間を工程に組み込む
といった仕組みを作らなければ、現場では今後も「安全管理審査のときだけ突然責任者になる電気主任技術者」という歪んだ構造が続いてしまうだろう。
そしてそれは、個人の負担の問題にとどまらず、最終的には設備安全そのもののリスクにもつながる可能性がある。
安全管理審査を本当に機能させるためには、電気主任技術者を制度上の責任者にするだけでなく、実務上も責任を果たせる環境を整備することが、これからの設備運用に求められている。



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