叶わなかった夢を抱えて生きる
叶わなかった夢を抱えて生きることは、敗北を背負って生きることと同義ではない。
ついでに言うなら恥ずかしいことでも何でも無い。
人はしばしば、「実現できたもの」に価値を見出し、「実現できなかったもの」には意味がないかのように扱う。
しかし、実際には逆である場合も多い。むしろ、手に入らなかったものこそ、人の内側に深く沈み込み、長い時間をかけて人格を形成する。叶わなかった夢は、痛みや屈託とともに、その人を根の深い人間に育て上げる。私はそう信じている。
私はある武道を究めんとしていた。
かつて、私はある武道を究めんとしていた。防具をまとい、木と汗の匂いが染み込んだ道場の床に立ち続ける日々だった。
稽古場は冬には凍るように寒く、夏には湿気が滲み、とてつもなく暑く、呼吸は重くなる。だが、そこでの時間は私にとって、日常という枠から隔絶された、確かな世界だった。
上段に構える者の悠然とした構え、足さばきに宿るり理合、間合いを支配する一瞬の気の張り。そうした「目に見えない領域」に、私は魅せられていた。
扱う道具はただの道具ではなく、手の延長であり、意志の形だった。そして自分の分身だった。技を磨くということは、感覚を研ぎ澄ませることであり、自我を削る行為だった。
私は、いつかその道で「ひとかどの人物」になれると信じていた。大きな名を残す必要はない。ただ、技量だけでなく、佇まいと人を導く言葉の重みを備えた存在へと至りたい、そう願っていた。心と体と技がひとつに収束し、迷いのない所作を体現する者。その形を追い続けていた。
努力ではどうにもならない領域が存在する。
しかし、人間には限界がある。努力を積み重ねれば、確かにある程度までは進める。しかし、その先には、努力ではどうにもならない領域が存在する。身体的な制約、生来の感覚の差、環境、時間、怪我、精神の耐久力。
そうした諸条件は、個人の努力をあざ笑うかのように、静かに壁を形作る。私はその壁の存在を、ある時期から明確に感じるようになった。抗っても抗っても固くまとわりつくような壁だった。
壁は突然に現れるわけではない。
ある日、稽古の中で「これ以上先に進んでいない」という感覚が、いやむしろ「すごく緩やかな下り坂を進んでいる」という確信が生じる。
師範や先達の指摘が以前ほど吸収されなくなる。むしろ彼らの言葉は違和感を感じ、それが足かせになる。
軌道修正を何度行っても、抜け出せない滞留が続く。そして周りからの助言がさらなる重しとなってくる。
それは意志の問題ではない。努力不足でもない。ただ「届かない」という重い現実が、静かに立ち現れるのだ。
私は「ひとかどの人物」などなれないのだ
私は、自分が「ひとかどの人物」になる場所には到達できないと悟った。悟った、という言葉は少し上品すぎるかもしないし、格好をつけすぎている。実際には、心の中に少しずつ亀裂が生じ、それが時間をかけて崩れ落ちるように、承認と諦めが進んでいった感覚である。
無音の崩落であった。誰もわかってくれない。誰にも共有できない。そんな感覚だった。
そこからの時間は、とてつもなく長かった。
夢を降ろすためには、常につきまとう痛みを伴う。
自分が熱量を注ぎ込んできた時間そのものが、意味のないものになったように感じられるからだ。
あの時期、私は自身の過去を語ることができなかった。
まるで、その経験を持っていること自体が「恥」のように思われた。
落伍者の影が付きまとう。
「目指したが、届かなかった者」には、落伍者の影が付きまとう。
その影は、自尊心を蝕み、静かに人を孤立させる。辛いのは、孤立をかつての仲間が加速させるような言葉をかける。
今でこそ言葉にできる
ただ、その時間を抜けた今であれば、言葉にできる。
叶わなかった夢は、敗北の記憶ではない。
むしろ、深層に沈殿し、人格を形づくる基層となる。
本気で何かを追いかけた経験がある人間は、他者の努力の価値を知る。
他者の痛みの深さを察することができる。
そして、自身の限界を知ることで、傲慢ではない強さを持つ。
叶わなかった夢は、人生を平坦ではなく、立体的にする。
叶わなかった夢は、人生を平坦ではなく、立体的にする。
心に陰影を与え、思考に奥行きを生み、言葉に重さを宿す。
あるいは、こう言っても良い。
「夢が叶わなかった人間は、壊れなかった人間である」と。
壊れる者は、夢とともに自分を焼き尽くしてしまう。
しかし、生きているということは、なお歩く意思を捨てなかったということだ。
心が折れそうな人へ、ひとつだけ伝えたい。
あなたが今感じている苦味や痛みは、いつかあなたを救う力に変わる。
あなたは、自分の中に深さを育てている最中なのだ。
それは派手ではないし、誰も褒めないし、形にも残らない。
しかし、確実に蓄積する。
叶わなかった夢を持つ人間は、
単に道に迷ったのではなく、
人生の中で一度、本気で自分の心の声に向き合った人間である。
その時間は無価値ではない。叶わなかった夢は無価値ではない。
むしろ、そのような時間を持たずに生きる方が、よほど空虚である。
あなたが今日も歩いているという事実それ自体が、既に立派だ。
過去を否定する必要はない。
未来を急ぐ必要もない。
今この瞬間にかすかに灯っているものを守りながら、ただ、前に進めばよい。
夢を叶えられなかった人間は、敗者ではない。
夢を叶えられなかった人間は、敗者ではない。
人生を深く知った者である。
そして、その深さは、必ず誰かを救う。
あなたは負けていない。
ただ、ひとつの夢を終え、新しい道への歩みが始まっただけだ。
静かに、まっすぐに、生きればよい。



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